わたしたちの浄土宗を知る為の仏教の質問、疑問にわかりやすくお答えします。
質問をお寄せ下さい。ホームページ上で先着順にお答えします。

葬式のときや法要のときなどに、お経を揚げたり、お念仏をとなえたりしますが、浄土宗ではその対象者、対象物は何なのでしょうか?
また、お墓に「南無阿弥陀仏」の名号が書いてあったり「○○家」の墓などと書いてありますが、浄土宗ではどうなのでしょうか?教えて下さい。
インターネットで浄土宗Q&Aを始めまして、様々な疑問をいただくようになりました。
 何かを学ぼうとする時には、だれしも大きなきっかけがあるものです。葬儀・法要という仏時を通じて、お経の意味は分からずとも、それを疑問に思った今を大切にしなければなりません。仏縁に巡り会えたのです。ぜひともあなたの人生の上に、仏教を役立てていただきたいと念願いたします。
 さて、仏教の修行の中で、続経、つまりお経を読むことは大切な行ないであるとされています。とくに法然上人は数多い経典の中でも「無量寿経」、「観無量寿経」、「阿弥陀経」の浄土三部経を読誦することをとくに大切な行ないのひとつとしてあげておられます。なぜ大切なのでしょうか。それはお経を通じて、釈尊は今もなお、たえずわたしたちに念仏をすすめられているということなのです。
 ところで、功徳を積まねばならない、とよく言われますが、功徳とは世の中のよい行いはいうに及ばず、仏教で説くところの善行を自ら実践して行くことを意味します。つまりお経を読んで積んだ功徳は当然ながらその人自身のものとなり、自分で積んだ功徳を自分のものだけに終わらせずに、亡くなられた方へ振り向けていくことが大切であると説かれます。これを回向(えこう)といいますが、お坊さんの読経の功徳を、死者に差し向けてもらうため、自らもお経を読むことになるのです。ですから、お葬式や法要のときにあげるお経は、故人の冥福のために功徳を振り向けるひとつの回向であると考えていただき、浄土宗の檀信徒にとってお経は聞くというのではなく、読誦すべきもので、その対象者は自分自身であり、それを故人や過去、現在、未来のすべての生きとせ生きる物に振り向けると考えていただきたいのです。
 次にお墓の質問にお答えしたいと思います。
 お墓は、仏教の影響から火葬が取り入れられ、供養の石造塔建立が起こり、やがてその側面に名、年、月、日などを刻し、墓碑、墓誌を兼ねた石造塔が現れ、これらを総じて墓というようになりました。墓石の形式は実に様々ですが、大まかにいって、和型(角石塔型)、洋型、その他の型の三種に大別することができます。
 これ以外では、五輪塔式や宝塔式があるようですが、墓石の形に決まりはありません。一番多いのは角石塔型で、さお石を二、三段の台石にのせた形です。これが変形して、全体の横長さお石部分が丸型、自然石などがあり、時代とそこに生きた人の気持ちが反映されているようです。
 文字の刻み方も様々です。これがいけないというものはありません。基本的には個人墓として一霊について一基建てる場合、さおの正面に戒名を刻み、それ以外の俗名などは裏面に刻みます。次に、一族墓として、一基に合祀する場合は、「○○家之墓」または名号などを刻みます。他にも、寂、夢、倶会一処など、そのお墓にこめる気持ちを表した文字が選ばれているようです。
 お墓は、記念碑ではありません。亡き人の冥福を祈る心を造形的に表現した供養塔であるので、形にこだわることなく、仏の姿と受け取ってお参りすることです。

教えて下さい。両親が亡くなり、去年3回忌がありました。いろいろと悔いることが多く、思い出すと涙します。両親と同じ浄土宗を信じたいと願っております。そんなことはないと言われるのですが、あの世でもまた親子でいたいと思い、違う宗派では分からないのではと思ったり・・・。
素朴な質問ですが教えて下さい。
葬儀に参列の時(浄土宗以外)浄土宗のお参りの仕方でよいのでしょうか。念数も浄土宗のを使ってよいのでしょうか?
幼い質問なのでお聞きするのに躊躇していました。どうぞお願いします。
(K・S 2001/9/8)
 御両親を亡くされた悲しみは如何ばかりかとお察し申し上げ、心から御両親の御冥福をお祈りいたします。
 さて、あなたのメールには一つの疑問と一つの質問があったように思えます。まず一つ目の疑問に対しては、あなたのおかれている状況がよく理解できませんので、漠然とした答えになるかも知れません。御両親の葬儀は他宗派でなされ、現在他宗派で祭ってあられるのですか。何故他宗派で祭るようになったのか、嫁ぎ先の宗派に合わせているということでしょうか?それとも、たまたま頼まれた葬儀に他宗派の住職が来られたということでしょうか?
 本来仏教というものは、お釈迦様の八万四千というみ教えの中から、各宗派の宗祖と言われる人々が最もふさわしい教えだと選び出し、そのよりどころとして自分の宗派を開かれたのです。仏教は何宗によらず悟りを得るための行ですから、ある特定の教えのみがよいとか悪いとかはありません。ひょっとしてあなたが自分の先祖の宗派と異なった宗派で祭ったとしても、お釈迦さまのお説きになられた仏教を通じて菩提を弔われたのですから、十分なことをしてあげられたと思いますよ。この後の信仰をご先祖さまからの宗派に求めるか、御両親の葬儀の宗派に求めるかは、要はあなた自身の信仰の確立にあると思います。もしあなたがおかれている環境に関係なく宗派を選べるのなら、父母そして先祖から縁のあった宗派で追善供養していくのも良い方法だと思います。どちらにしても、信仰の対象としての菩提寺を定め、菩提寺のご住職の指導を仰いで信仰の道に入り、明るく、正しく、仲よく生きてゆくことが残された者の勤めと心得てください。
 もう一つの質問、他宗派の葬儀の時のおまいりの仕方についてですが、私も浄土宗の僧侶をしていまして、色々なおつきあいの中で様々な宗派、宗教の葬儀に参列することがあります。それが神道であろうとキリスト教であろうと、私自身の信仰する浄土宗の形で合掌・礼拝・念仏を(心の中で)しています。個人の信仰は誰にも妨げられるものでもありませんし、場所によって形を変えるのはおかしいのではないでしょうか。もしどうしてもその葬儀の形式にあわせなくてはならなくなったとしても、心の中で合掌・念仏して欲しいものです。そして浄土宗念珠をお持ちでしたら、いつでもどこでも誇りを持ってお使いください。